日記について

13歳の頃から日記をつけています。日記といっても1、2ヶ月くらい何も書かない時もあるし、なんなら連日書く方が稀です。日記をつける人や手帳を書くのが習慣の人がよく言ってますが、そのくらいの方が続きます。私も同意見です。

日記をつけるようになったきっかけは確か3つほどあったと思います。
1つめ、おそらくあさのあつこさんの「THE MANZAI」という小説だったと思うのですが、主人公が「毎日書かなくていい、書きたいことがあった時だけ書く」というルールで日記をつけ始めるシーンがあります。書きたいときだけでいいんだ〜!と思った記憶。
2つめ、「アンネの日記」。この期に及んでまだ全部読んだことがないのですが、アンネの日記が日記でありながら架空の友人への手紙という形式で書かれているのはあまりにも有名です。13歳の私はなんだかそれって楽しそう!と思い、最初の頃はイマジナリーフレンドに向かって書いていました。そういえばこれが私のイマジナリーフレンドが生まれたきっかけでもあった気がします。最近の日記は彼宛ではありませんが、彼はまだ友達です。
3つめは、父の会社のノベルティでウィークリースペースがあるスケジュール帳を貰ったことです。ウィークリースペースのあるスケジュール帳を手に入れたのは初めてで、このスペースを何に使っていいか持て余していたところだったので、ちょうどいいものがあるじゃないか、じゃあ、ここに書こう。となりました。

文章を書くのは好きです。あと、考え事をするのも好きで、それからたぶん、なんでもかんでも記録しておくのが好きです。
自分の頭の中のもやもやとした掴みどころのない概念をなんとか形にしようとするけれどもやっぱり掴みどころがなく、言葉という容れ物の足らなさを痛感するけれども、そこに仮でもいいので当てはめてラベリングしておかないと、その時感じた素晴らしい感銘やらなんやらがふわふわーと溶けて消えていってしまうようで悲しいので、できるだけ言葉にして記録しようと思っています。
でも私はそういう足らなさも含めて言葉というものが大好きです。話が逸れましたね。

日記はつけ始めてから長年やり方は変わらず、スケジュール帳のウィークリースペースに書いていました。スペースが大きすぎず一言で済ませたい時にちょうどいいし、たくさん書きたくなった時は臨機応変に使わなかった数日分遡ってスペースをたくさん確保したりしました。
独立した日記帳にするより、スケジュール帳と日記がくっついていると結局いつも持ち歩くし開くタイミングが多いので、結果的に継続的に日記をつけやすかったです。加えてスケジュール帳とくっついていると便利な事として、記録がない日が続くと日にちを見てこの時期は忙しかったんだなあと遡りやすいです。
先ほどからなんで過去形なのかというと、最近は日記を手帳につけていないからです。

ここ最近ウィークリースペースではなんとなく窮屈に感じるようになってきました。
書きたいことがたくさんあるというのもまあ理由の1つではあるのですが、分量云々というより私は小さいスペースにきっちりとお行儀よく文字を書くのが苦手です。
でかいスペースに余白をたっぷりとって景気良くドンとど真ん中に書きたいたちです。
これは昔からの性分で、学生時代もノートの罫線通りに書くのが苦手で友人によく笑われたものでした。そんなわけで大学生の頃は開き直って無地のルーズリーフを使っていました。また話が逸れた。
そういった経緯で今年はかの有名なほぼ日手帳に手を出してみたのですが、どうも相性が悪かった。
まず第一にあの手帳はものすごく情報量が多い。とにもかくにも余白を愛している私にとって、あのみっちりした方眼やあちこちに散りばめられた格言やなんかの情報で非常に頭が痛くなりました。(これは比喩です)
そして二つめに、あの素晴らしく薄くそれでいて裏移りしないハイテクロノジーな紙!
たくさん書くスペースと持ち歩きしやすさを両立している観点からほぼ日手帳を選んだわけですが、あの紙を破かないように細心の注意を払っていると、本当に手帳を開くのが憂鬱になりました。私は本当にそういう繊細さとは無縁なのです。